ノンフィクション作家として国民の人気を集めてきた東京都知事猪瀬直樹が、とうとう馬脚を現した。
北信飯山に生まれ、革命的共産主義者同盟のメンバーとして信州大学全共闘委員長をしていた彼が、最後には権力に取り込まれ堕落していくさまが、まざまざと誰にも見えたのが、ここ数日の徳州会献金事件だ。
小泉内閣時代、行革断行評議会や道路民営化推進委員会で活躍、政治に関心ある文人作家として注目されたのだが、石原都知事の腹心として奉職した時から、周りにうごめく権力亡者や欲望に囚われた商人の餌食になり、彼自身がその渦のコントロール・タワーになってしまったのだろう。
行政から莫大な補助金をえている「?」は多かれ少なかれ権力から、たかられるのを覚悟しなければならない。
その前提で猪瀬知事は、徳州会に金の無心にいったのだ。一億だしてくれ、一説には一億五千万だしてくれ、などとは闇のルールを知り尽くしている人間しかいえない。
病院は許認可で行政との関係が深い。徳州会は武蔵野徳州苑の設立などで都から7億5千万円の補助金を受けていた。その面からも持ちつ持たれつの関係だと充分読める。
猪瀬知事は出馬挨拶の折に資金提供をお願いしたと、当初発言していたが、2時間後には個人の借り入れで、選挙資金ではないと訂正した。そして徳州会の選挙違反事件に伴う強制捜査にあわてて返済したというのが実態だが、公職選挙法違反、政治資金規正法違反をあらためて認識し、つじつまの合わない弁明を繰り返している。
「闇の政治献金」が「個人の借り入れ金」に化けるというのは、すでに新聞テレビなど政界メディアの常識になっているが、メディアはそのことには一切触れず、知事とのインタビューを表面的な猿芝居にしている。
不倫相手中平まみとの飲酒自動車事故やら、オリンピック立候補相手国の非難事件やら、偽りのノンフィクション作家 猪瀬直樹 といわれてきた都知事だが、この闇資金問題でいっきに人間性そのものが疑われる事態となった。
それでも貴方は都知事に居ずわりますか。
猪瀬直樹が馬脚を現わした
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す