狂った夏のオトシマエ

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 京都の夏は祇園まつりに始まる。
 鴨川に床がかけられ、川風を浴びながらハモの落しを食するのは都の人たちの楽しみになっている。
 神輿洗いに始まり、いくつもの前まつりを経て、山鉾の巡行のころには、夏の暑さはクライマックスを迎える。盆地である京都の蒸し暑さは半端ではない。じわっと暑さが身体を包み、頭の芯から汗がにじみだしてくる。芸妓衆が毎年六月にはこの夏の浴衣を新調するのも、むべなるかななのだ。
 八月一日は八朔の礼、正装をして日頃お世話になっている主家や料亭にご挨拶をしてまわる。しっかり水の打たれた祇園町の路地から路地へ、黒の絽のお引きずりをきた芸妓舞妓衆が行きかう八朔の日の祇園町は、暑気を忘れさせてくれる。
 暑気忘れは貴船の床料理にもある。音をたてて流れ落ちる谷川の上にしつらえられた露天座敷で宴会を楽しむ。鳥居本の平野屋の鮎も素晴らしい。夏の京都の鮎は、千曲川の鮎とはだいぶ違う。
 鮎と向かい合ったときの仕事が違うのだ。天然鮎をさらに冷たい清流のなかで何日か泳がすことで、苔臭さをすっかり抜く。調理にさいしての塩加減、火の通し方、最後のうつわの選択まで、とことん手間をかけて愛情を注ぐ。
 京都の食は季節を大切にし、通過儀礼といえるほど暮しの一部になって、食の楽しみだけでなく、心の満足まで充たしてくれる。
 ようやく五山の送り火を迎える頃に、今年も無事に夏を越せたこと、ご先祖様に感謝しあの世に現世をかさねる。 その後には、地蔵盆が待ち構えて、子供たちは一生懸命街角のお地蔵様を洗う。
 その頃にはすつかり秋風が立って夏越忘れになるはずだが、今年はまったく違った。
 四季の移ろいに答えた、風土ならではの歳時記がめちゃめゃにされてしまった。もとをただせば人間の罪だが、このオトシマエをどう付けたらいいのか全く判らない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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