今では当たり前になった特大のポスター、この大きなポスター生みの親はフランスだというのは面白い。
モンマルトルの麓、ブロンシェからピィガール界隈の夜からポスターは生まれた。
1882年、パリ初めてのキャバレー「黒猫(シャノアール)」が、ロシュシュアール通り84番地に生まれた。店の名は、当時ボードレールの翻訳で人気のあったエドガー・アラン・ポーの小説「黒猫」Chat Noirに因んで付けられた。そして店のイメージとして作られたのが、画家スタンランによって描かれた黒猫、この黒猫は大変な人気を呼び、ハイネを始めネルバァルなど作家、芸術家たちのたまり場になった。
この黒猫のオリジナル看板は、パリの歴史がつまっているマレのカルナヴァレ博物館にある。土産物屋にいけば、必ずといっていいほどロートレックのムーランルージュのポスターとともに、スタンランの黒猫のポスターやマグネット、絵葉書などが売られている。
そもそもパリのペツトといえばつい二、三十年前までは猫だった。どこのアパートの窓辺にも猫がいたし、ムーランにも50匹近い猫が住んでいた。シネという漫画家は猫の絵だけで財を為した。それがいつ間にかイギリス渡りの犬の天国になってしまったのだが、いまでもパリ当局は犬に冷たく、公園を始めあちこちに「犬入るべからず」の看板が立っている。
第一期のキャバレー黒猫は、次第にピガール界隈の不良の巣窟となり閉めたが、第二期の黒猫をヴィクトール・マセ通り12番地にオープン、堕落した貴族たちへの皮肉、批判を売りにしたが、逆に金持ちの遊び人に面白がられ、ブルジョワの社交場になってしまった。現在のクリシー大通り68番地の黒猫はビストロだが、1950年ピアフが、初めて「愛の賛歌」を唄った店としてシャンソン・マニアの聖地になっている。隣には、赤と黒だけのホテルChat Noirt黒猫がある。
黒猫に始まったポスターの伝統は、ロートレックのムーランルージュによってさらにパワーアップし、アートポスターの歴史を創ってきた。
特大ポスター産みの親・黒猫
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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