国会の終盤、久しぶりにオバケがでた。
牛歩戦術という名のオバケだ。もうとっくに絶滅したと思っていたが、どっこい牛歩は生きていた。
福島瑞穂、森裕子、又一征治、山本太郎など、社民党自由党などの7人が、牛歩にかかわった国会内絶滅危惧種だ。この人たちには町の広場と国会の区別がつかないらしい。国会をパフォーマンスの場と勘違いしている。
言うまでもなく、國会は提案の場であり、審議の場であり、議論の場であり、評決の場だ。民主主義のもとでは、評決はことの是非を問わず数の論理が総てだ。審議を尽くした後は、数の原理に従うしかないのだ。
それが不満なら次の選挙で多数派を目指せばいい。多数派になれないのは、自分たちの主張に民意がないからだ。
議長席のしたで、盛んに牛歩しアピールしていたが、伊達忠一議長による投票時間制限をなめていたのか、15日7時46分投票終了宣言であわてて投票したが、タイムアウトの無効票とされてしまった。その折の無様な慌てぶりがテレビに映し出され、全国民の失笑を買った。
そんなに牛歩がやりたければ、国会の外、どこかの横丁かアゼ道でやればいい。パフォーマンスではなく「アフォーマンス」と揶揄される所以である。
安保法案では戦争法案だと偽って、国民を不安に貶めた。 PKO法案では、子供達を戦争で死なせてはいけないと煽った。憲法改正では、まるでマッカーサーの子分のごとき有様、そして共謀罪では一億総監視社会になる、とわめいて審議妨害をした。
この議員たちは、すでに国中に監視カメラが取り付けられ、ネットの閲覧は自由自在というデジタル社会の現実を知らないのだ。
牛歩議員たちは、国会内の「反日日本人」であり、反日パフォーマーといわれてもむべなるかな、である。
牛歩7人のアフォーマー
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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