煙草・喫う人喫わない人

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 有楽町を降り駅前のマーケットを抜け左へ曲がったところにアマンドがあった。元祖アマンドである。アマンド・ピンクと白のストライプが妙に海の向こうの気分を演出して、オシャレな喫茶店だった。オーナーの滝原さんが、宝塚の熱烈なファンだったことから、ヅカ風なパリを演出したつもりだったのかもしれない。
 そのアマンドの二階の奥で徹夜の打合せをしていたのが、帝劇、日劇、のスタッフだった。テーブルの上は煙草の吸殻のやま、その吸殻のやまのなかでも一番のやまのまえには越路吹雪がいた。終電が行ってしまった後、朝の一番電車まで、もうもうとした煙のなかで明日のレビューの夢を語り合った。
 映画、テレビを問わずドラマには、とにかく喫煙シーンが多かった。下手な役者ほど演技プランのなさを煙草でごまかそうとする。下手な脚本家はタベル・シーンでごまかそうとした。
 出版社、新聞社、テレビ局なども、いつも煙に包まれていた。我が家でパーティを開くと翌日カーテンを全部はずしてクリーニングにだしていた。煙草のヤニでカーテンはベタベタになったのだ。男性は勿論のこと女性のキャリアにはヘビィ・スモーカーが多かった。男に追いつけ、追い越せの時代だつたので、そんなことからもタバコに手を出したのかもしれない。
 映画監督の市川昆、版画家の池田満寿夫も喫煙量は半端ではなかった。監督はいつもカメラのよこで煙草をくゆらせ、画伯は版下を描きながら、煙草の灰をおとしてハラハラしたのも度々のできごとだった。
 喫煙か禁煙かの議論もそろそろ終わり、たまたま事務所に現れるスタッフが、申し訳なさそうな表情で、せまいテラスでひっそりと喫煙している背中には哀愁すら感じてしまう。
 神奈川県についで、兵庫県も喫煙防止条例に乗り出した。すでに煙草を愛するひとたちは、控えめ喫煙で、肩身の狭い思いのなかで暮らしているのだから、追い打ちをかけるようなことはしなくとも、と思うのだが、どうも近頃の風潮は反対派をとことん追い落とす教条主義に陥っていろようだ。ふところに深さがない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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