無責任の連鎖がつづく東京オリンピック2020

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無責任の連鎖がつづく東京オリンピック2020
 新国立競技場建設予算超過2520億事件。
 安倍晋三内閣総理大臣、森嘉郎ワールドラグビー招致委員長、河野一郎JSC日本スポーツ振興センター理事長、下村博文文部科学大臣、遠藤利明オリンピック担当大臣、舛添要一東京都知事、そして安藤忠雄新国立競技場デザイン選定委員会委員長と、オリンピックの役者が出揃った。
 火付け人の石原慎太郎、猪瀬直樹はすでに自滅し、無責任なオモテナシ女滝川クリステルも、男やメディアをつまみ食いしている程度だ。
 誰も知らなかったのに突如、ツメバラを切らされたのは文科省スポーツ青少年局々長久保公人というお役人だ。多分庶民のあずかり知らぬところで権力を振り回していたのだろう。
 安藤忠雄が選んだザハ・ハディドというトルコの叔母さんは、あまりに迫力があり過ぎてついていき難かった。アンビルドの女王とよばれ、予算オーバーの常習犯だといのだから乗っかったデザイン選定委員会のお歴々の方にも隙があった。
 最終選考に残った八つの案では、競技場の屋上まで森林が延長されていたフランスのドレル・ゴットメ・タネのプランが、とても優れているように思えた。
 ケ・ブランリー博物館の外壁に植物を植えた垂直庭園が話題をよんでいるが、神宮の森からなだらかに丘を創りだし、植生によって飾られた新しい国立競技場は自然賛歌の思想も明確で、神宮の自然に溶け込んだ素晴らしい案だった。
 いずれにしても東京が責任をもってやるのではなく、政治家が入り乱れて権力闘争ののち、大成建設と竹中工務店の言いなりに税金を使うという構図ははっきりと理解できた。
 すでに「今世紀最大最高規模の国家プロジェクト」と、世界中に喧伝されているのだからこの騒動の落としどころが見ものである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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