日本料理がユネスコの無形文化遺産になった。 お目出度いことだ。
が日本人の食卓にとって、いま日本料理は本当に生きているのだろうか。食卓のない家が話題になり、料理はコンビニに奪われてしまったという人すらいる。
テレビの料理番組は、そのほとんどが「ナンチャッテ料理」だし、無国籍メニューが圧倒的に多い。タレント達による料理出来ないコンテストや、コンビニ料理ベストテンにうつつを抜かしていては、とても文化遺産としての日本料理を保持していくことは無理難題であろう。
「栄養バランスに優れた健康的な食生活」といっても、痩身第一のダイエット料理ではとても文化遺産の枠はみたせない。「自然の美しさや季節のうつろいの料理」も旬のないスーパーやコンビニで食材を整えていては到底不可能である。ましてや「正月などの年中行事との密接な関わり」家で行われる通過儀礼や祭りについて、もっとも無知無理解なのが高学歴主婦という現実を前にしては、どれひとつとして無形文化財の指定条件に当てはまらないと絶望的な気分になる。
海外のジャパニーズ・レストランも、その80パーセントは中国人やベトナム人のやっているナンチャッテ日本料理店なので、とても世界に認められた日本料理などというお題目は唱えられない。
真剣に日本料理の良さを文化としてつたえていくには、まずすべての日本人に日本の民俗習俗の再学習を求め、ライフスタイルのルネッサンス運動を起こさなければならないだろう。
ハローウィン、クリスマス、ヴァレンタイン、カーニバルなど、西洋祭事に浮かれている日本人には、日本料理を語る資格のある人間が圧倒的に少ない。
無形文化遺産になった日本料理のいま
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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