炎のシャンゼリゼーはいずこへ

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 凱旋門からコンコルドの広場まで、両側の道に植えられたマロニエとプラタナスの木が真っ赤に燃えた今年のシャンゼリゼー大通り、クリスマス・イルミネーションは評判が評判をよんで陽気で華やかな大通りになる筈だった。
 シャンゼリゼーの植栽がすべて真っ赤な色彩に包まれるというのは今まで無かった。フランス人の大好きな赤一色のイルミネーションはLED電球の登場で初めて実現した。それ故、点灯式にはデザイナーのカールラガァーフェルトが登場して、シャンゼリゼーを祝福した。、
 そのシャンゼリゼー大通りは閉鎖され、近かずくことも出来ない物騒な街にかわってしまった。
 街を支配しているのは、「黄色いベスト」に身をつつんだ燃料税値上げ反対のデモの群れ、毎日治安部隊と衝突し、放水と衝突を繰り返し、商店のガラスは割られ、ディスプレーは壊され、工事用の柵はバリケード代わりとなり、内戦のような有様になってしまった。大統領はいま戒厳令を準備していると伝えられている。
 シャンゼリゼーとジョルジュ・サンク通りの角にあるフーケッツのテラスでの待ち合わせも、ラドリーの二階のお洒落な食事もみんな不可能になってしまった。
 欲しいものはみなシャンゼリゼーにあると謳われた夜も昼も、シャンゼリゼーは答えてくれなくなってしまった。
 いままで日常的なデモは、オペラ通りとかバスティーユ通りが多く、凱旋門に集まれというのはあまりきかなかったが、いまデモの指令はSNSを通じて当日出されるので、黄色いベストもかなり大変と聞いた。今日はシャンゼリゼーは国賓を迎えるからとか、革命記念日のバスティーユは避けようとか、従来あったコントロールが効かなくなり、観光客がいようが、いまいが、全く無視してデモを展開する。
 庶民の生活に直結する「燃料税」値上げは国民の怒りを買い、大統領の胸元に匕首を突き付けている。もとは燃料だけにそう簡単には鎮火することはないだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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