昭和21年日劇「ハワイの花」…灰田勝彦、高峰秀子主演、日劇ダンシング・チームによるハワイアン・レビュー、廃墟で暮らしていた日本人にとってそれは遠いトツクニの憧れのレビューだった。日劇のまわりを十重二十重に囲んだ観衆は何時入れるやもしれぬ行列について、じっと待っていた。
ホノルル出身、立教大学卒の灰田勝彦はハワイアンやヨーデルを駆使、甘いマスクで子女の人気を独占、いまどきのキムタクなど足元にも及ばなかった。彼はハワイ生まれの江戸っ子と呼ばれ、ディック・ミネ、上原謙など立教出身の芸能人のトップにたっていた。
椰子の木が造り出すワイキキの浜辺の舞台装置に、日劇ダンシング・チームの女子たちがブラと腰蓑にレイをかけ、いつせいに踊り込むと、劇場中が異常な興奮につつまれたことを覚えている。
のち「トリスを飲んでハワイに行こう」とサントリーのキャンペーンに逆らうがごとくに、ウクレレを下げてハワイから帰ってきたのが、日本橋生まれの水森亜土だった。十代の彼女が例の天然で左ギッチョでウクレレを弾きながらのブルーハワイには異国の香りがただよっていた。いま彼女が歌うジャズには戦後ハワイへの憧れの甘い気分が残っている。
ウクレレの優しいナイロン弦の響きに肩寄せ合うように歌うサンディーが、売れていると言う。スローなメロディーにあるときは日本語で、あるときは英語で、またあるときはハワイ語で、ワールド・ミュージック風なポップスにまとめたあたりが、うけている原因なのだろう。
「夏の日の思い出」「バリバリの浜辺で」「ここに幸あり」「ブルー・ハワイ」など馴染みの曲がならび、奥ゆかしくささやかな幸せを大切にする日本人のこころにサンディーのやさしさが伝わってくる。
灰田勝彦・水森亜土・サンディー
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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