火事場のビール

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火事場のビール
新宿ゴールデン街が火事を出してしまった。
その時、一番のエネルギーを注いだのは消防署に違いないが、消火前類焼中に大号令をかけたのは、キリンビールだったと伝えられる。
 午後1時過ぎに出火し、瞬く間に300平方メートルに広がった火が、鎮火したのは午後6時頃だった。
 30分後、ゴールデン街の近くの駐車場に集合したのは、キリンビール首都圏営業部隊だった。鎮火とともに部隊は、「近火お見舞い」のタオルを抱え余燼のくすぶるゴールデン街に出撃した。
「キリンビールです。近火お見舞いに参上いたしました。」人の不幸に付け込んで営業活動するとは…。
そんな甘いことはいってられない。ビール業界はいまアサヒの独走状態で、なんとしてもアサヒの独走を阻止しなければならないのだ。
 こうした盛り場の火事こそ、エリア密着型の営業にとっては、ベストチャンスだ。
 アサヒはあくる日のお見舞いで横綱相撲、サントリーも同様、サッポロも右に同じ、キリンだけが突出して
頑張ったのだ。
 花街ではビールの銘柄は客次第、お茶屋はあらかじめ客の好みを熟知し、好みのビール以外は決してお座敷にださない。営業がものを言うほど甘くない。芸妓衆も客の好みを把握してサービスする。
 つまり飲み屋街のほうが銘柄についてはユルイのだ。ママの一存で変わることもある。
 火事場泥棒と揶揄されながらも、ひたすらタオルを配り、店に足を運んでママに愛されなければ、会社での出世はない。ビール営業部員の悲しみが漂う。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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