急にここ一週間でみどりが増してきた。
白樺も紅葉も枯れ木のごとき有様だったのが、葉が茂り目隠しのごとくに繁茂してきた。まもなく軽井沢の夏がくる。
ダイソンの扇風機より待ち遠しいのが、祇園町からのご挨拶の「うちわ」である。
今年はコロナのお蔭で、お茶屋さんも芸妓さんも舞妓さんも、みんなヒマしてたので、ご挨拶のうちわどころではないかもしれない。そんななかでもお姐さんの芸妓さんなら、がんばって夏の「ご挨拶のうちわ」を作るかもしれない。裕福な旦那さんでも付いていれば、なおさらのこと、都の花街の風習なのだから「うちわ」位は造るだろう、と都合のいい妄想をえがいて「うちわ」をまっている。
とくにお商売のうちやら、料理やさんはこのうちわを玄関先に並べて商売繁盛のお守りにしている。客を呼ぶ花街の芸妓衆や舞妓の名のはいったうちわは、客寄せの飾り物として最上のものである。
片面に置屋さんの紋、もう片面には置屋の名前と舞妓名が渋い茶で書いてある。衿をかえて芸妓になったら、自分とこの紋と姓に変わっていっぽん立ちしたことが判る。
先斗町や上七軒は置屋の名前は書かず、それぞれに町の名前を書いて舞妓名と並べる。祇園町では祇園と書かないのがほんものなのだ。
うちわは昔みやこの南、深草の里でつくられていた。深草には真竹が多く、粘りがあり湿気に強い竹であったところから、深草のうちわ作りが始まったとされている。
暑い夏の配りものに昔は町衆から始まった習俗が、花街に残ったものだそうだ。邪気を払い、病魔退散のしるしに「うちわ配り」の習俗はウィズ・コロナの今、ジャストフィットのイベントではないか。
小野小町と深草少将の百夜通いでは、こんにち唯のストーカーでかたずけられるが、祇園うちわで顔をかくしての恋心なら九十九日の悲劇は起こらないかもしれない。
ポリエステル製の販促うちわは、「うちわ」とはいえない。 、
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深草の里に生まれた「祇園うちわ」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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