深川めしのむかし

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 江戸っ子だからという理由にかこつけて昔から「アサリ」が大好きだ。
 春 潮干狩りのころになると、本郷の裏道にも「からあさり! からあさり!」の売り声がきこえてきた。「からあさり」つてなんだろうと疑問をもったが、のちに殻付きのあさりのことだと納得した。木更津あたりからの行商と聞いた。
 こぶりのザルを片手に近所の女将さんがアサリ売りのまわりに二人三人と集った。夕方にはあちこちからアサリの香りが立ち、こどもながらの食欲を刺激された。浅利めしやら、浅利の天ぷら、我が家ではどういうわけか浅利のみそ汁だった。赤だしの味噌に浅利の出しがきいて、とにかく美味いのご馳走だった。
 大川の花見も終わった頃、おせいさんがつれてってくれたのは、櫓したの「深川めし」の名店だった。
 深川めしに入る前におせいさんはかならず深川のお不動様にお参りをする。お参りをしなければ深川で座敷には上がってはいけない、というのがおせいさんのルールだった。
 お参りがすむと「揚げ饅頭屋さん」で土産の予約をし、はじめて深川めしの店にむかった。奥の四畳半ほどの小さな座敷には、障子に川面の反射がゆらめいて、子供ながらの別天地だった。障子をあけると、眼よりも高く掘割が流れていた。
 粋な模様のどんぶりに白いご飯が入り、いっぱいにのったアサリの美味かったこと、こうしたハレの日の深川めしは、老境の今にひきずっている。東京駅からの帰途、サウスコートにある喜代村のあさり弁当に手をのばし、軽井沢まで運んでいる。
 喜代村のアサリはたっぷりとして大きく、アサリ好きにはたまらない幸せである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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