涙をみせる男たち。

by

in

 劇団の演技養成所で重要なこと。まず第一に「発音発声の基礎」「基本動作の基礎」、そして「喜怒哀楽愛の表現」これに尽きる。繰り返し繰り返し学習を重ねることによって、人間はかなりの表現技術を体現できるようになる。ただこれらの技術を獲得したとき、人それぞれの、役者それぞれの個性をうしなうようなことになると、いわゆる新劇的な退屈な舞台が出来上がってしまう。
 そこで今日のテーマ「なみだ」、笑いより涙のほうが、演技的にはかなり易しい。嬉し涙、悔し涙、空涙といろいろあるが、涙はときに理屈を超えた効果を発揮する。惚れた女の見せる涙などは、効果100%原発なみの威力を発揮する。古来涙を見せない女は可愛げがない、とまで云われてきた。
 某女優などは、はいそこで涙目で彼を見つめて、と指示するとハイと素直に返事をし、5秒後には涙目で男優をみつめた。そこにアクションがついて甘えれば、彼はイチコロとなつて彼女を追いまわしていた。
 ところが今では男が泣く時代になった。年とって涙腺が緩くなったのではなく、女の子に虐められて泣く男性が多くなった。女房から離婚しようといわれ、さめざめと泣くのは夫のほうだときいた。男たるもの人前で泣くなと云われたのは遠い昔の物語り、悲しいとき痛いとき、感情が高ぶって涙をみせるのは男性の特権になった。
 海江田大臣が議会で嗚咽した。世間はよほど菅直人にいじめられているのだろうと、かってに理解し、海江田大臣に同情している。大臣はひとことも弁明せずただ嗚咽した。涙の効用としてこれほどの表現はない。タマネギででる涙の100倍効果、スタンダールは「涙は究極の微笑である」といったが、この大臣のなみだは100万人のツイッターに匹敵した。男たちは、下品な女たちから涙を奪ったのかもしれない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ