涙ぐましい小樽の努力

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 ヘドロと悪臭の運河だつた。かってドラマのロケで小樽を訪れた時のこと、運河のほとりに立って愕然としたことがある。北のウォール街と呼ばれた華やかな雰囲気は何処にもなかった。
 久しぶりの小樽運河、そこは中国人の観光客を相手にあの手この手を繰り出す観光地に変身していた。
 63基のガス燈に浮かぶ散策路は、御影石の石畳に影を落とし、運河の水面に反射する倉庫群の煉瓦や札幌軟石がこのうえなく美しい情景を創りだしていた。観光客はみなスマホをかざし、ライトアップされた倉庫を背景にシャッターを切っている。
 カメラが終われば、傍らの小樽運河食堂に吸い込まれて行く。待ち構えるのは、上海カニの何倍もあるズワイや北海蟹、ジンギスカン、ラーメン、炙り海鮮、回転寿司等々、彼らの興奮度はいやが上にも増す。コスパにも優れた食のフェスティバルだ。
 食後は石油ランプと浮き玉に始まった北一ガラスのあれこれ、「お父さん預かります」の看板にショツクを受け思わず入ってしまう昆布の利尻屋、絵にも描けないおいしさの若めすーぷ、百五十歳若返るふりかけと商品開発の努力、名物寿司屋通りと伊藤整や小林多喜二も息を切らせて登ったという地獄坂、足腰を鍛えながら歴史を学ぼうという小樽の街に、涙ぐましい努力を見て取った。
涙ぐましい小樽の努力


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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