海老蔵の呆れた振舞い

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 市川海老蔵の非常識ぶり、オバカな脳みそがばれてきた。
 梨園の名門に生まれながら、その我儘振りと礼儀知らずは歌舞伎のウチウラではつとに知られていたが、一般人は知らなかった。
 いつまでも続く妻麻央の乳がんを憐れむ海老蔵の芝居に乗せられ、可哀そう、素敵なパパと勘違いしてファンがついてきた。
 地上波のテレビもまんまと騙され、海老蔵密着などとハシャイで番組作りをしている。
 海老蔵が成田屋当主となって以来、先代の残した稽古場のある本家は売り、母と妹は何処かに転居してしまった。
 海老蔵カレーを売ったり、歌舞伎脚本…「勧進帳」「助六」「暫」の商標登録を企てたり、やることが余りに非常識、野放図なのだ。
 歌舞伎400年の歴史に育てられた脚本を、成田屋のものとして商標登録しようと特許庁に申請したのだ。これにはさすが物分かりの悪い特許庁の役人もNOを出した。
 歌舞伎界全体の財産を独り占めしようという根性がさもしい。歌舞伎18番はたまたま七代目が贔屓のための案内として取り上げたもので、成田屋が創作した作品ではない。ほかの名題もそれぞれに得意芸としてとりあげているが、商品ではなく無形文化財として折にふれ上演してきた。
 海老蔵は演劇という文化と、ジャパネツト・タカタの区別が判らないのだ。
 芝居馬鹿もここまでくると、檻にいれて猿のとなりに展示したくなる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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