人生初めての体験……浮世絵を買いに出掛けた。
ネットで調べたところ、銀座と神田に浮世絵専門の店が見つかった。銀座は便利だが、観光客向けのような気がして、神田神保町をめざした。中学・高校時代週末のお出掛けはまま神保町界隈、あてもなく古書店をまわり、最後に薄暗い喫茶店でお茶して時の至福を味わった。いま神保町の交差点にたつと、スポーツ・ショップ、カラオケ・ビル、アパホテルなどが眼に飛び込んで、ここが世界一の古書店街とはとても思えない。
一軒目の浮世絵店は東洲斎、写楽の号を店名にしているあたり、期待して訪れた。
北斎の滝のシリーズはありますか?ないわよ。めったに出ないし出ても高いし……。いくら位ですか? そうね、200万か300万。有難うございました。出直します。
二軒目山田書店美術部、若い女性がひとりパソコンを打っている。歌麿、広重、北斎、それぞれの引き出しに入っているからご自由にどうぞ、それではと北斎から見始めた、こんなに沢山の浮世絵を見たのは初体験、寛大な店員さんに甘え腰をすえて浮世絵鑑賞大会となった。風景にしようか、それとも美人図にしようかと迷いながら、結局写楽の役者首絵、「市川蝦蔵の竹村定之進」つりあがった眉と眼が生きていて、引きゆがめられた口元から、いまにも声が聞こえそうな、迫力ある大首絵だ。男だけでは片手落ちと栄之の「青楼美人六花仙、越前屋唐士」に意をつかまれた。歌麿や清長の妖艶とちがったさわやかな清麗さ、栄之の品格と線の映しさは、さすが歌麿、清長とともに美人画三傑のひとりと納得した。
浮世絵を手に入れた帰途、なつかしのカフェ・ラドリオに立ち寄った。昼間は喫茶店、夜はバーになって、あの頃はラドリオのカレーが学生たちのステータスだつた。レンガの床の凸凹感もなつかしく、カウンターの椅子は鉈の削り出しの太い幹に丸い板の乗った昔のまま、薄暗い店内でさっき求めた一冊の本に集中した昔を思い出した。
浮世絵を探して神田・神保町へ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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