浅間山中噴火のこと

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 4年前の噴火の時は、ラブソング・アウォードのファイナルにぶつかり、一曲終わるごとにスタッフはグランド・ピアノに駆け寄り毛布をかけていた。ピアノに灰が入ると、500万円位の除去作業が必要と脅かされていたからだ。祈るような気持ちでノミネート全曲の無事演奏を願った。普段このあたりでは、祈りごとは浅間山に向かってするのだが、その浅間山が噴火元とあっては、どこに向かって祈ったらいいのか良く分からないという生活漫画だった。
 幸い今年は大賀ホールという屋根付きのホールが会場であったため、爆発しても降灰の心配はすることなく無事終わったのだが、それでも心配事はつきない。日本各地から応募してくる若者たちにとって、このホールほど演奏しにくい舞台はない。アナログのクラシック向けに設計されているため、ドラムス、ギターなどいまどきのPA楽器はほとんど響きすぎてホテルの宴会場よりもひどい状態になってしまうのだ。東京からきた凄腕のオーディオ・マンは二日のあいだ、今時信じられない悪戦苦闘を強いられる。なんとかバランスの取れた音を客席に届けることができたとき、思わずニッコリと至福の笑顔を洩らすことができるのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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