ハーフ・ハーフの浅田真央選手がようやく現役続行を表明した。
スポーツ選手にとってもっとも重要と思われる「決断力」にとぼしい浅田真央。いまのところはハーフ・ハーフです、というコメントを聴くたびに、はてなの気持ちに襲われていたし、その度ごとにメディアが書きたてるハーフ・ハーフの気持ちの揺らぎは不愉快だった。
一年間の休養と称し、コマーシャルには出る、アイス・ショウにもでる、イベントの数々に出演する、普通それは休養とはいわない。営業活動そのものなのだ。
スケート連盟は彼女のCM出演料の20%をいただき、その他の出演料のマージンもとって8000万円超の収入があるといわれている。
そうした商業的スポーツ選手となっているからには、すこしでも長くその利潤システムを維持するために、選手復帰を宣言したと推察できる。
かってスポーツの世界では、いちど頂点を極めた選手は引退し、後進の育成にあたるというルールがあった。イナバウアーの荒川静香などその好例で、オリンピックのゴールド・メダルと共にあっさりと引退し、指導とコメンテーターに回っている。
上がいつまでも頑張っていれば、当然の如く後進の選手には道は開けない。国費から支出される強化費も回ってこない。ひとりの個人主義によって、幾人かの後進の芽が摘まれてしまうのだ。
スポーツに於けるミーイズムがいつから跋扈しだしたのかわからないが、利益や芸能と結びついて堕落してしまった、という現実は否定できない。
浅田真央の裏おもて
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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