泉 鏡花の金沢

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 いくたびか足を重ねた金沢へいってきた。
 女川とよばれる浅野川の畔を歩き、泉鏡花の時間にあった。
 かって寄席があり、芝居小屋をよこめに、柳葉の流れるような川面の友禅流しを日常として、迷路のような花街の暗がり坂を日々通った鏡花の少年時代に対面した。穴のような坂の両側の遊里には、歓楽の果ての疲れた空気がただよい、降りたところが丁字路で、左へいくと袋小路、右に折れさらに左へ折れると川があった。「流れ」と揶揄された主計町の廓には、明治の女たちの悲しみや涙がいっぱいあった。
 「滝の白糸」に見せる無償の愛、ミス・ポートルへの憧憬、永遠の恋人又従妹の目細てる、そして「照葉狂言」のお雪など、多くの作品に出てくる美しき未亡人湯浅しげ、鏡花の描く年上の人妻への恋ごころの必然性に少し近ずいた気がした。
 川向うの卯辰山に「幻想回廊」を見、「夜叉ケ池」や「高野聖」の原体験もすべて金沢の風土にあったということを、あらためて体感した今回の旅だった。
 「お前は人間の味方かい。」「へへ、尾のない猿ども、誰がかばいだていたしましょう。…誓を破っては相なりませぬ。」夜叉ケ池の万年姥、「人間とは何事も白を黒としてしか見ることのできない存在だ。顔も心も美しい女を見ながら、その美は醜に、愛は恐怖にしか映らない。」と「海神別荘」の竜神にいわせている。「ここは楽しむ処、歌う処、舞う処、喜び、遊ぶ処ですよ。」と言い切り、最後には大洪水で終わる、つい最近のこの国を予見していたかのような泉鏡花に慄然とした。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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