仙台のふるさとの家近くに小さな森があった。
そこは鎮守の森ではなく、お稲荷さんの森だった。だから鳥居も小さく頼りない朽ち果てそうな赤い鳥居がいくつか重なって参道をつくっていた。 突き当りには一メートルほどの石積みの上に、小さな赤いお社が乗っていた。悪童たちはそのお社の中に何があるのか、何が収められているのか、興味津々だった。
ある時、お稲荷さん探検隊を実行することになり、罰が当たりませんようにと祈りながら、恐る恐る扉を開けた。……そこにはなにもなかった。カラッポの拝殿というのも、子供たちにはショックだった。
ならいつも供えられている「油揚げ」は何処へ行った。誰が食べたのかと話合ったが、結論は出なかった。
「油揚げ」は朝の味噌汁にもしばしば登場したが、晴の行事にも顔を出した。お祭りや遠足のときの、いなり寿司だった。中身はあっさりした酢飯だつたり、蓮根いりの五目飯だったりした。
油揚げの裏で包まれたのが、六本木のおつな寿司の稲荷だった。テレビ・スタジオで収録中におつなまでアシスタントを走らせ、百っこ、二百個をスタジオの真ん中において小腹を満たした。おつなの裏で包んだいなりは、裏番組を食うという下らない縁起話で人気があった。
亡き森繁久弥さんも、油揚げを軽くあぶって生姜醤油で酒の肴に、というのが好物だった。
京都の町家では冬、油揚げの短冊切に水菜だけで鍋にする。削りたてのかつお節をどっさりとかけて、関東風の寄せ鍋にないいかにも京風の鍋料理となる。油揚げが上品な奥深い味にばける。
油揚げは神様に仕え、庶民の食卓に重宝がられ、晴の日の食材になって、日本食のスーパースターである。
油揚げスーパースター
コメント
1件のフィードバック
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油揚げ、私も大好きです!
味噌汁、混ぜご飯、煮物、稲荷寿司、炙り醤油、確かにスーパースターですね!
でも忘れて行けないのは、バイプレーヤーのサヤエンドウ、最近はモロッコインゲンの登場で、すこし出番が減りましたが、油揚げの力を何倍にも増幅力をもってます。味噌汁、混ぜご飯、煮物に関しては無敵な脇役です!
炙り醤油の葱なしは成立しますが、エンドウなしの油揚げ味噌汁は少し悲しいです!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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