20年に渡って松代の地で頑張って来た池田満寿夫美術館が閉館した。
池田満寿夫は長野出身の版画家であり、芥川賞作家でもあった。小布施の竹風堂という栗菓子の名店が、池田の作品に惚れコレクションしたのが、美術館設立の動機だった。
栗おこわのプロデュースでは万全の竹風堂だったが、美術館の運営については失敗したのだ。とくにここ数年、池田満寿夫美術館から風を起こしたアートな話題は、皆無だったように思う。
有り余る才能で、池田満寿夫は銅版画にとどまらず、油彩、コラージュ、彫刻、陶芸、映像、映画、文学と
作品の分野がひろかったから、池田満寿夫の世界から発するイベントはかなり自由に企画できた筈だ。何故もっとイケダワールドをベースに暴れなかったのか、不思議である。
美術作品が美術館のなかに鎮座して観客が来る時代は、もうとっくに終わっている。
国立版画美術館でもあれば、世界的な価値をもつ江戸浮世絵歌麿、北斎からから池田満寿夫まで収蔵展示して、日本の文化として伝承していけるが、そうした美術館もないことが残念である。
文部省は岩盤規制をひいて、あれも駄目、これも駄目といって加計学園をいじめるまえに、美術行政の穴を
埋めるべきだろう。
小樽にあった石原裕次郎記念館も閉館した。一時はあれほどきた裕次郎ファンも年老いたということだろう。
映画スターの記念館というのは、名作映画が沢山あるというのが必要条件なのだ。スターのカリスマ性と時代が生んだ名作がだぶってこその記念館だ。
足が長くてカッコ良かっただけでは映画愛好家はこない。
池田満寿夫も石原裕次郎も
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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