江戸っ子は目黒川の桜にいかない。

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江戸っ子は目黒川の桜にいかない。
 桜によって日本人の花見の心は育てられたのだろう。
 京のみやこでも、秀吉の醍醐の花見以来、鴨川の桜からさいごの御室の桜まで、春の一か月を花見の楽しみで過ごす。歩きながらの花見から、酒や料理を持ち込んでのうたげの花見までいろいろの楽しみ方が生まれた。
丸山公園や平野神社の花見茶屋などみると、町衆と花見のきずなの半端ない強さが窺い知れる。
 江戸の花見は徳川の開府以来の楽しみだった。
 江戸城の桜趣味はお濠のまわりにこぼれ、やがて隅田川の堤に広がり、寛永寺の開山とともに上野の山が桜の山になつた。飛鳥山を桜山にしたのも将軍さまだった。
 という訳で、江戸っ子は近頃の役人のつくった桜は見に行かない。出掛けるのは徳川さまの造った桜の庭や隅田川の土手堤と決まっている。
 歩きながらめでつもよし、立ち止まって見るもよし、飲み食いとともに楽しむもよしかっては踊りながらの花見もあった。
 目黒川の如く、ドブ川の両岸にむりやり植えた桜など、花見の桜ではない。岸辺のゆとりもなく、ドブ川をコンクリートで固めた人口道では、立ち止まる気にもならず、座り込む土もなく休みどころがまったくないのだ。 世田谷辺りのちかごろの成金や、昨日今日東京にでてきたお上りさんにはいいが、江戸っ子は近ずかない桜道なのだ。
 お花見饅頭にチョコレートが入ったスイーツとやらがあるが、目黒川も大同小異の桜の名所と言えるだろう。


コメント

1件のフィードバック

  1. 新しい自分になって初コメント失礼いたします♪
    猿楽町に棲んでいた16年前までは今ほど芋洗い状態ではなかった気がするんですが…
    人混みを受け付けない自分は
    病院帰りに大橋方面から試しに見始めて
    美空ひばりさんのお宅の桜を見に目黒川は早々に離脱しておりましたが
    今年はまだ蕾の時期に診察日で…
    上野公園の中の料亭に呼ばれていた時は現場に着くまでに人ごみを掻き分けるのにうんざりし
    昨年まで棲んでいたところは外堀の桜で混雑で
    目の前の防衛省の靖国通り沿いの桜は年々切られてしまって
    棲みだした頃の半分以下になってしまい残念でしたし
    今は小笠原邸の近所ですが
    機動隊の入り口に一本見掛けるだけで
    今年はとうとうどこにも出掛ける気にならなくなりました!
    まぁこれまでもついでなだけでわざわざ見に行ったことは無いのですが…
    わざわざ出掛ける人の気持ちは分かりません
    家の近所で楽しめば良いのに!
    としか思いませんw
    引きこもりを愉しんでいるアラフィフでございます。
    冬の寒さよりこの頃の花冷えの寒さが苦手です。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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