永遠の工事中、ポンピドー・センター

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ポンピドーセンター.jpg
 40年前、とある女性とパリへいった。
 時間がとれたので国立美術館へ行こうということになつた。話題を呼んでいたポンピドー・センターである。タクシーが付くとさっさと降りた彼女、運賃を払って後を追った筆者に言った言葉が強烈だった。
 「なぁーんだ。工事中じゃない。ちゃんと調べたの !」きびすを返して戻ってきた。 無理もない彼女の眼には工事中としか映らなかったのだ。
パリポンピドー.jpg
 マレ地区に完成したその美術館は、当初悪評の嵐に襲われていた。あのグロテスクな建物はなんだ。「人々は決して中に歩を進めないだろう」と酷評したメディアもあった。
 換気のダクトや上下水道のバイプ、配電、エレベーターなど、本来ビルの中に配置すべき機能を全部外側に出したアバンギャルドな建築は、ルーブルの中庭にガラスのピラミットが登場した時以来の反響を呼んだ。
 以来、筆者はムンクの「叫び」から、草間彌生の「深紅の部屋」にいたるまで、この美術館で対面した。パリを尋ねると、まず一番先に調べるのが、ポンピドー・センターのプログラムになった。最上階から眺めるマレの古い屋根や煙突も大好きだ。
 この貴重な建築を設計した英国人のリチャード・ロジャースが88歳で泉下に旅立った。
 いつか道草の出来る都市を創りたいといっていたリチャード・ロジャースの言葉が忘れられない。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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