水飯をナスの漬物で。

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 水飯(スイハン)…冷飯に冷水をかけたもの…をナスの漬物で食べてください。
 遠く室戸岬の友人から新米が送られてきた。今年米づくりにデビューしたが、受粉のとき台風6号に直撃され、田の神様の祝福は受けられなかったという注釈付だつたが、なかなかに味ツヤもよく農協経由の米とはひとあじことなって美味しかった。
 スイハンという指定なので調べてみたところ、源氏物語のなかに光源氏が食したという記録がでてきた。宇治拾遺物語には三条中納言が肥りすぎたので医者に相談したところ、スイハンを薦められ鮎やウリのひもので食べたところ、あまりの美味さに返って肥ってしまつたという逸話が書かれている。
 江戸の高級料亭八百膳では、一杯一両二分というとてつもなく高価な茶漬けをだしていたそうだが、これは茶漬にあう水を毎日遠くから飛脚に運ばせて客に供していたというから、その頃よほどのグルメがいたということだろう。水は井の頭あたりにコンコンと湧いていた武蔵野の名水だったかもしれない。
 翌朝、冷蔵庫に入れずに採りおいた冷飯に安曇野の冷水をかけ、水茄子のつけものでいただいた。新米の旨みがたって甘みがまし、なかなかの朝めしだった。茄子の漬物がこれほど冷飯にあうというのも発見だつた。しばらく忘れていた日本の味覚だった。
 奉公人の早飯には、水飯がいちばんと貧しさの代名詞にされていたこの食べ方、じつはとても贅沢な豊穣な食なのだということを教えられた。
 折から台風の真っ只中にいる室戸岬の徳増正彦君に、はるか豊葦原の瑞穂の国の幸せを感謝したい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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