水の都ヴェネツィアの、あのサンマルコ広場が水浸しになり、街の七割が冠水して大変だというニュースが飛び込んできた。
映画「ベニスに死す」に胸をつかれ、少年タジオへの思慕をつのらせて、ヴェネツィアの路地から路地を彷徨する老作曲家の破滅の影に惹かれて、水の都を訪れたことがあった。
マーラーをモデルにしたと言われるこの映画には、全編マーラーの交響曲5番第四楽章が流れ、ヴィスコンティ監督による退廃の映像美は、若い日の僕の心を奪った。
コレラが蔓延し、街中が炎に包まれる中、白粉と口紅と白髪染めで死に化粧を施した老作曲家が、少年の姿を求めて歩き回る。たどり着いた浜辺のデッキに身を横たえたとき、友だちとはしゃぐ少年タジオを発見するが、もうその時老作曲家に死が訪れていた。陽光のなかに少年のシルエットを見ながら、流れ落ちる汗と涙に死に化粧が醜く落ちていく。
アドリア海のラグーナに築かれたヴェネツィアの街は何万本の丸太の上に乗った虚構の都でもある。二十世紀後半から、幾度となく水没の危機が叫ばれ、その美しさ故の儚さに人々の注目が集まった。
毎年2月から3月にかけての、カーニバルでは皆美しい仮面をつけて、広場に繰り出す。黒いマントに身を包み鼻の尖った真っ白なお面の男、宝石の縁飾りのマスクに胸を大きく出したビロードのドレスの女、二人はサンマルコの広場で出会い、カサノバの通った酒場で杯を交わして、曲がりくねったヴェネツィアの細い路地に消えていく。
元はといえば、貴族たちが身分を殺して街の美女たちと愛のひとときを過ごすための仮面なのだから、この水の都では、何かにつけて仮面が登場する。うつろいに似た人生に仮面の告白をかさねたこの街の習俗に永遠を祈っている。
水浸しの仮面の告白
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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