少女はいつも水を飲んでいた。
仕事に入る前には必ず水をのんでいた。どこか遠くにでかける時も、必ずといっていいほど水をのんでいた。始めは喉がかわくものを食べたに違いないと、おもっていたが、その内にいやそうではない、少女にとって水はエネルギーのもと、水をのまないと少女は壊れてしまうのではないか、と思えるようになった。だから少女と仕事を共にするときは、水をあらかじめ用意するようになった。
少年時代、「水を買う行為」など想像もしなかった。東京では水道の蛇口をひねれば、少し臭い水がいくらでもでてきた。
どこの家にも井戸があり、夏休みの西瓜はいつも井戸に浮かんでいた。神棚にあげる水は、井戸水に限られていた。水道の水を神様や、仏様にあげては罰があたると教え込まれてきた。 だから井戸のかたわらには水神様が祀られていた。
学校の廊下に一列に並んだ水道があった。そこで手をあらった。掃除のあとの雑巾もすすいだ。
防空演習のときはバケツにいっぱいの水をそそいで、バケツリレーをした。それでアメリカに勝てると信じていた。 並んだ蛇口の前には鬼畜米英と書かれていた。
その水道の水を飲んで育った。
広島に原爆が落とされ、人々は「水を、水を……」と云いながら息絶えていったという記事をよみ、初めて「命の水」を認識した。
美しかった水は、敗戦とともに泥水にかわっていた。
いま、隣のデスクの女性は、コストコのカークランドというアメリカ製の水を飲んでいる。僕はヴォルビックというフランス製の水である。ネットでは伊豆半島沖の海洋深層水とやらを集団飲水している。
齢とともに水の重さに耐えられなくなった。アマゾンなら戸口まで水を運んでくれる。
やはりアメリカに生かされている毎日である。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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