民族を愛したコメディアンの変貌

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 テレビドラマ「国民の僕(しもべ)」で、普通の高校教師が政治家になってしまった役を演じたのが、ゼレンスキーという喜劇役者だった。。
 政治的に全く無力だったゼレンスキーは、テレビというメディアによって生み出された大統領になり、ウクライナという国家を率いていかねばならなくなった。国民もコカ・コーラやケバブを手に若くてハンサムな彼との自撮りを楽しみ、多くを期待しなかった。
 が彼の内面を支配していたのは、数年前ロシアとの交渉で核兵器を棄て、軍事力を弱体化させられたが、いつかプーチンとの再交渉で、ドンバス地方の内戦に終止符を打つことが出来ればという希望だった。
 がプーチンは自らの野望のまえに、ゼレンスキーの国を愛する執念を見誤った。
 10回以上の会談を重ね、最後は山口の高級料亭に迄彼を招き、日ソ関係を打開しようとした安倍晋三に次いで、国家指導者の情熱がよめなかったプーチンの自己過信だった。
 19年12月9日、パリ・エリゼー宮にはフランスマクロン大統領、ドイツメルケル首相を交えて、プーチンとゼレンスキーの四者会談がもたれたが、プーチンはウクライナの将来についてお墨付きを与えなかった。そこでプーチンは脅迫と威嚇でゼレンスキーを見下した。
 それでもゼレンスキーは21年春、プーチンに対しドンバスで会うことを提案したが、クレムリンの答えは「ウクライナがロシアに無条件降伏するならば」という過酷なものだった。プーチンはゼレンスキーに選択の余地を与えなかった。
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 彼は平和大統領から戦争大統領になるしか方法がなかったのだ。
 スーツを緑色のTシャツにかえ、素顔に髭も剃らない自然体で世界にウクライナの現状を訴え続けた。テレビのコメデイアンが民族のリーダーとなり、国民から頼られる英雄に変わった。
 この戦争の行方はまだ見えないが、民族とともに戦った一コメディアンの変貌を、歴史は必ず伝えていくことだろう。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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