「9.11は西洋に対する強い反発は西洋文明の力では克服できないことを分からせた。」
「リーマン・ショックは新自由体制のもとで、経済・財政の腐敗がいかに根深いかを証明した。」
「東日本大震災は自然を克服する努力には限界があり、20世紀後半からつくられた「原子力国家」は幻想だったことを証明した。」
いずれもイタリヤの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏の指摘だ。
こうした歴史の事実に対して、私たち日本人はどのように対応してきたかを考えてみよう。
9.11はイスラムによる原理社会が、キリスト教的先進社会につきつけたヤイバだった。敗戦によってキバを抜かれた日本人は、寄って立つ神道・仏教の背骨を忘れ、テロのひとことでかたずけ、宗教のもっている世界観人生観に想いをいたさなかった。持たざる者のレジスタンスがどういうものか、ということを忘れ、アメリカのテロの大合唱に組して、危険のなかの日常を選択した。
リーマン・ショックによる経済の崩壊も、日本人は前世紀末バブルという虚構経済によって「失われた10年」を経験しているにもかかわらず、すこしも経験則を生かせなかった。銀行も証券会社も財務省もみな愚かな人々だったことが証明された。
長崎・広島の災禍をうけたこの国が東日本の原発災害をうけたということは、屋上屋を重ねた大愚行といえよう。8月になると必ずひらかれてきた広島・長崎の反原発大集会はただのイベントだったといわれても反論できない。毎年世界に向けて発信してきた反原発の声はただの遊びだったのかといわれても、はいそうでしたとしかいいようはない。環境派がひとつになり、産業資本のもとの組合やカトリック教会まで脱原発の旗のもとにあつまったドイツ人の叡智にすこしは見習うべきだろう。
民族が劣化している。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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