民放各局19時台の視聴率が、すべて1ケタになった。去る6月14日のこと。
日本テレビ9.4%、TBS 8.3%、フジテレビ9.7%、テレビ朝日8.1%、テレビ東京5.1% 3.11以降テレビを見る気がなくなった。という人もいるが、近頃のテレビは「なんであんなにつまらないんでしょう」という声が、圧倒的に多い。
朝一番から番宣のタレント回し、つまり自局の番組宣伝のために、出演したタレントがそこら中に顔をだし、仲間うちのヨイショばかり。痩せるパンツの宣伝、いかがわしい宝石の通販、どうでもいいバックの叩き売り、取扱商品は夜店のバッタ屋よりひどい。ドラマといえば、あらかた殺人がテーマの警察ミステリー、時間つぶしのお笑い、久しぶりのヒットだというのでよく聞いたら、ファスト・フード、ロッテリアにモスバーガー、フライドチキン、マクドナルドの売上ベストテンをあてるという悪食ベストテン番組だという。ロケ費はタダ、出演料は怪しげな食の評論家三人分とヒマシテルお笑い若干、なによりもスポンサーが取りやすいと、いう。それがゴールデンの番組というからあきれる。情報番組もどうでもいい旅と食、ジャーナリズムの志もなければ、気概もない駅前雑報ばかり。安易な番組作りは視聴者からもみすかされて、誰も期待しない。
昼のオバケ番組「笑っていいとも!」もついに「ひるおび」に負けたり、「ワイド・スクランブル」にも負けて5%台の日もちらちら、ついにタモリの命運も尽きたかの噂が飛んでいる。韓流ドラマを二本も三本も並べて放映するなどは、なんとか時間を埋めてつなごうという意図が見えすぎて、ものの憐れを感じる。若者たちはテレビよりインターネットで簡便情報だけ入手、もはや民放テレビは年寄りの暇つぶしの相手にしかならない。いくら地デジをごり押ししても、民放テレビの終わりは確実に始まっている。
民放テレビ・終わりの始まり
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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