民俗芸能のデータ化を疑う

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民俗芸能のデータ化を疑う
 郷土芸能、または民俗芸能、いずれにしてもこの国はそうした芸能の王国である。
 暮らしのなかに多彩な芸能があった。ある時は願いであり、祈りであり、喜びであり、感謝であった。そうした民族芸能も敗戦とともに、没落への道をひたすらあゆんでいる。
 没落のきっかけは、無形民俗文化財指定という暴挙からだった。その芸能の存在する意義をみつめないで、芸能の形式だけを役所が顕彰するという役所仕事の犠牲になったのだ。
 素朴な農民は代官様が認めてくれたとばかり、小旗をつくり、公民館やら公会堂の舞台で晴れがましく芸能を演じた。農耕や暮らしによりそった芸能が、目的を見失って興行芸能になっていった。
 それでも全国には、多くの祈りの芸能や感謝の芸能は生き続けている。
 圧倒的に多いのは東北である。福島原発事故のおかげで、土地そのものを奪われてしまった飯館村には、田植踊があった。田植えのときの予祝の踊りだ。
 南三陸町には本浜七福神舞があった。歳の初めの祈りの舞である。海も土地も核に翻弄され、生産する暮らしを奪われたのだから、当然のように芸能の担い手もいなくなり、後継者もみつからない。
 そこに登場したのは、東北大学の研究者グループだ。
 最後の民俗芸能の担い手の体中にセンサーをつけ、モーション・ピクチャア技術とやらで田植踊と七福神舞の動きをデータ化し、保存しようという企みである。
 物珍しさも手伝い、メディアもお役所も話題となっているが、芸能の意味も目的も失った動きだけのデータに、どれほどの価値があるのだろうか。
 芸能を含めた農耕そのもの明日のすがたに、研究の対象がなければ無意味な試みとしか思えない。
 近頃の歌舞伎がつまらないのは、若手がみなヴィデオで勉強するので、上面の芝居にしかならないと友人がなげいていたが、センサー保存の民俗芸能は所詮メカの遊びにしかならないのでは、と考えている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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