民主・維新の合併喜劇

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民主・維新の合併喜劇
 民主党と維新の会が合併するときいて、何の感興もわかない。そうですか、といった程度で、かって日本新党結成あたりの、政治の訴求力は何処え行ってしまったのだろうか。
 かって政治の季節には、こんな日本を作りたい、作り上げたいといった権謀術策、行動力がぶつかり合って国民ひとりひとりが、その渦のなかで興奮していた。
 それが民主党の失敗以来、政治への期待感は雲散霧消、まったく無くなってしまった。
 立憲民主党と民進党、どちらがいいですか、と素人に丸投げでは、政治の集団として如何なものか。
 議員ひとりひとりに、主張、覚悟がないから、党是を議論することなく、平気で民意を問う。売り出し新商品のネーミングと全く同じなのだ。旦那に媚びる、水商売のオネェサン方の方がましかもしれない。
 選挙のための議員ばかりで、国造りへの理想がない、この旗印のもと我々はこうした国造りをする、という
議員本来の知性と使命感に欠けるから、政党の看板をいくら付け替えても、魅力は湧かない。
 新党さきがけ、みんなの党,結いの党、立ち上がれ日本、生活の党と山本太郎となかまたち、新進党、みどりの風、新党きずな、新党平和、新党友愛、日本未来の党、太陽の党、あげくの果ては立憲民主党、民進党、…スーパーのチラシのごとく名前を並べただけでは、ますます信用できない。くっついては離れ、出来ては消えるあなたたちは一体なんなんですか。自由民主党、公明党、共産党、十年一日のごとく変わらない方が、少しはマシかも知れない、と思わせる。
 かつて長野の産んだ昼行燈 羽田孜首相が提案した「人間党」では、略称のとき「前人間」やら「元人間」になってマズイということで、採用されなかった逸話が残っているが、今回の民主維新の合併劇も、名前さえ変えたら国民の支持が集まる、とでも考えていたらまず大失敗するだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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