すぐる日、毒蝮三太夫からお招きをうけた。
東京駅まで迎えに行くから、横須賀美術館へ行こう、というお招きだった。
彼とは70年来の友人だが、美術館へのお誘いはついぞ頂いたことがない。よく考えてみると、立川談志襲名の折人形町の寄席のあと目出度いついでにに深谷の櫻を見に行こうと談志に誘われて同行した事件いらいのことだ。…深谷の土手についたのは深夜1時過ぎで桜は見えず、仕方なくいった談志の実家でも歓迎されず、無理やりこじ開けて上がった土間で結局お茶いっぱいも飲まずに明け方の東京へ帰ってきた事件、以来のロングドライブであった。
車中とめどなく話が続き、本日のマドンナ「トンチ」に笑われながらも横須賀美術館に着到。まずそのオーシャンビューの素晴らしさに驚嘆した。東京の近くにこんな素晴らしい美術館があるとはしらなかった。 観音崎の森と丘を背景に東京湾に面したガラスと鉄板の入れ子構造のたたずまいは金沢の21世紀美術館の何倍も素晴らしい。
その美しいガラスの箱にはいっていたのは、「土方重巳の世界」。 戦後NHKの人形劇でヒットしたブーフーウーとその仲間たち、トンチはブーの役もやったし、フーの声もやったと懐かしんでいたが、なるほど添えられたカードには、やたら増山江威子の名前が掲出されていた。
筆者は旧帝国劇場文芸部のころのバレエ公演、オペラ公演のポスター原稿に、志に燃えていたあの頃の時代が走馬灯のように巡った。映画ポスターも東宝東和のフランス映画「北ホテル」のデザインに、数年前訪れたサンマルタン運河の北ホテルが重なって不思議な時間旅行を体験した。
毒蝮三太夫の心ずかい、この展覧会を企画した根本龍一郎さん、ドライバーを務めてくれたY嬢、同行の増山江威子さん、みんな楽しくしゃべり、面白く覗き、嬉しく食し、充実した春の一日、横須賀ツアーであった。感謝。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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