毒舌キャラの発生と消滅

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 異常な潔癖癖を武器にメディアに登場した坂上忍は、明石家さんまを触媒にしたため、大衆に引かれることなくすんなりと受け入れられた。
 「ブスは大嫌いだ」「女は顔がいのち」など、過激なセクハラ発言も、非難されることなく毒舌キャラといったポジションに登録され、急速に人気者に成長していった。
 通常、子役から育った役者はコドモ・イメージに囚われ、すんなりと大人になることがなかなかに難しい。
 安達祐美の例をみても、20年も昔の家なき子に於ける、同情するなら金をくれ のイメージがつきまとって脱皮することができなかった。それが映画花宵道中の朝霧大夫とであったことにより、いっきに脱ぎ、大胆なセックスを演じることにより、大人入りのチャンスを得、安達祐美再ブームを呼び込んだ。
 女性の場合、こうした自分の肉体をさらけだしてアイデンティティーを確立することが可能だが、男となるとそうもいかない。
 坂上忍は毒舌キャラの芸人に徹することができなかった。近頃では不動産屋の手先のようなことに手を貸している。郊外の物件や湘南の物件を見て回り、この物件を坂上忍は買うか、買わないか…思案のすえに カイマセンとか、キープとか叫んでまた来週で番組は終わる。
 彼が見て回って悩んだ物件は、必ず買い手がつくというのが、番組継続の理由になっている。彼から毒舌は消え、予定調和の女子アナと全く同じポジションに堕落してしまった。
 目下奮闘中の有吉弘行もどこまでサメタ毒舌を維持していけるか、テレビの使い捨て消耗戦に勝ち抜けるかどうかにかかっている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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