毎日新聞の終りの始まり

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 朝日新聞の社長交代劇に始まり、毎日新聞の資本減資が実施された。
 押し紙と左翼偏向の毎日新聞はだいぶ前から経営危機がつたえられていたが、 とうとう新聞不信の先頭にたってしまった。
 41億5000万円の資本金を1月15日の株主総会においてわずか1億円に減らすことになった。それほど赤字経営が続いてきて体力がなくなったということだろう。毎日新聞は一流企業の看板を棄て、中小企業になったということである。
 有楽町駅前にプラネタリウムとともにかまえていた本社が、半蔵門のお堀端に移った頃をはっきりと憶えている。
 アメリカ渡来のリーダース・ダイジェストとともにモダンな社屋を構え、大変な鼻息だった。それがいつしか勘違いし、左翼反日新聞に堕落したころから読者ばなれが始まり、とくに若者層からみはなされてしまった。 記者たちに愛国心がなくなり、母国を貶める記事を堂々と一面にのせるようになって識者も見放すようになった。
 文化学芸面の記者たちもかっての謙虚さを失い、尊大かつ安っぽいエリート意識のかたまりが増えてきた。
 このさい系列のTBSに拾ってもらい、TBS報道局新聞部として再出発するのもいいだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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