母に捧げる

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福田真紀.jpg
 夏木組TVに出現したマイ年間優秀句第一席!!
    冬天よ 母を泣かせて 来る街か   福田麻貴
 80キロのゆめっちと116キロのかなでを左右に、真ん中にたつ3時のヒロインのつっこみ担当、平凡なさほど面白くもないキャラクターの彼女の句である。
 関西大学の商学部を出ていながら吉本に入り、故郷の大阪を離れ東京にきて早12年、その歳月にどれだけの涙があったか、狭く貧しいアパートの窓の向こうに広がる東京のコンクリート、20代のため息も30代の自嘲も交えて、彼女の心情がいやというほどに伝わる。
 芸能界のむなしさ、自分の愚かさ、そして必死に止めたであろう母の愛情、17文字のなかに見事に凝縮している。
 演出という仕事上、今度東京に来ましたのでよろしくお願いします。マネージャーに付き添われ、初めてレコードをだします。新潟から出てきました。シモキタの小さな小屋で芝居をしてます。一度見に来てください。そうした役者の卵、新人歌手、お笑い、踊り子など、バイトで辛うじて暮らしを支えながら、都会の隙間に生きてきた若者を無数にみてきた。その実景は悲劇であり喜劇でもある。
 思考喪失の芸能界志望が圧倒的に多いなにかで、32歳のお笑いにこんな逸材がいたとは驚きだし、喜びである。
    泣きながら 責めたる母の 荒野かな   津沢マサ子
 母をうたったもう一つの好きな句である。
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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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