母と娘という病。

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 香山リカさんの著に「親子という病」がある。帯に…すべての親子は気持ちワルイ。べつたり母娘、深まる親子の病理の背景は。とある。 最近この本の症例にぴつたりの二組の母娘に遭遇した。二組とも美しい素敵な母とキュートな可愛い娘の組み合わせだ。
 一組目の母は海外で勉強し、のち日本に帰ってきたバイリンガルのママと娘。6年前恋の結実の少女が小学校に上がる年齢になった。母にとつて少女は名門のとある小学校に入学しなければならなかった。その為有名なお受験幼稚園に通い、入学試験に臨んだ。が入学不許可。原因は解らなかったが、とにかく目指す学校に入れなかつた。その時普通なら区立でもほかの私立でも入れて勉強させればいいのだが、この母は違った。教育に賭けた情熱なのかそれとも見栄なのか、娘を連れて東京を脱出、何百キロ向こうの名門校にいれた。かくて6年が経ち今度は中学校。勿論母の夢は6年前のあの名門校、なんとか中学受験は成功し、娘はやつとのことで入学できた。母と娘は颯爽と東京に帰ってきた。ところが驚いたことに母は6年間かの地で起業し成功したにも拘らずあつさりと全部捨てて娘とともに帰ってきたのだ。
 二組目の症例、母は娘の才能を信じていた。田舎では娘の才能は花開かないと確信した母は東京のとある中学校を受けさせた。見事お受験成功、母は娘ともども東京に移り住むこととなつた。恵まれた豊かな環境のなかで母の仕事は順調に進んでいたが、その総てを棄てて都会へ帰るという。
 かって我々の時代には考えられなかったことだ。中学生の娘のために、親がすべてを棄てて娘について行く。旦那の転勤先ではない。一見麗しの物語のようだが、母性愛の過剰であり、母と娘の間は酸欠状態になつていると思われる。因みにこの二例いずれもアラフォーという今話題の世代だ。母性愛幻想というお化けがそこいらをうろついている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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