武漢コロナのカタカナ語戦争

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 グローバル、グローバルと草木もなびいて、「グローバルにあらざれば人に非ず」の勢いだったが、武漢コロナのおかげで人々の心も少しばかり冷静さをとりもどしたようだ。
 軽井沢でも役場と観光協会あたりが主導して、インバウンドのプロモーションに海外へ飛んだり、交通大臣のG7あるいは環境大臣のG20の会場に手を挙げ、視察団がヨーロッパにいってみたりしていたが、おかげでこれだけ軽井沢が良くなったというような噂はとんときこえてこない。
 今年の中国の春節のときも、軽井沢の中国人による混み様は異常だった。
 アウトレツトは勿論のこと、旧道もハルニレ・テラスもスーパーもみな大声の中国人に支配されてしまった。
 武漢ですでに大量の感染が発生していたにもかかわらず、習近平の隠蔽工作によって見事にだまされた。大量のコロナウイルスとともに隣国を歩き回った彼らは、お国に帰るや否や國境閉鎖して閉じこもってしまった。
 いまや武漢に始まった悪疫は世界中に蔓延し、かって世界を恐怖に巻き込んだペストと同じく、人類にとって最悪のシナリオになった。 中国は一帯一路などと寝言をいうまえに、世界のコロナ撲滅にもてるものの総てを投入し、発生元としての責任を果たすべきだろう。
 いま専門家と称する人々がマスコミに登場しカタカナ文字を連発してウンチクを傾けているのも不愉快きわまりない。
 WHO…テドロス…コービッド…クラスター…ロックダウン…オーバーシュート…パンデミック…インバウンド…アビガン…等々 にほん語で生活し、にほん語で働いてきたオジサン・オバサン達には何が何だかわからない。コーピッド19などと言わず、武漢ウィルスで充分ではないか。その辺からすでに中国共産党の手中に堕ちている。
 得意気にカタカナ語をふりまわす小池百合子都知事にもおおいに問題ありだ。犯人の中国に何万枚かの防護服と何十万枚のマスクを送ったと豪語していたが、おひざ元の日本人には配らずに中国に贈ったとは、なにを考えているのかわからない。
 自国民には2枚ずつ配るので勘弁してくれ、とでもいうのだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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