正論おじさんとリベラル左翼

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 松阪の正論おじさんが話題になっている。
 公道は1センチたりとも使わせない。導入看板の片足がでていても、きびしく追及する。法律の奴隷そのものになってシアワセな老人の困りものではある。
 松阪の商店街はすこしキレイになったが、町から賑わいが消え、売上げも落ちて、なかには廃業に追い込まれた店もあるという小さな町の物語だ。
 メディアは悪乗りし相変わらずのヘイト・ニュースを流している。
 メガネをかけた変なコメンテーターは、この正論おじさんを支持して、欧米だったら直ちに警察がくる。公道の管理はとても厳しい、だから松阪のこの例も正論おじさんが正しい、と発言している。
 真っ赤な嘘である。 パリも、ブリッセルも、ロンドンも、町の賑わいのため公道の使用には寛大な政策をとっている。
 カフェもレストランもみな公道にはみだして営業している。昼飯は公道におかれたテーブルで食べている。コーヒー一杯でも公道に置かれたパラソルのしたで楽しんでいる。サンジェルマンのギャラリーでは初日のベルニサージュを公道にはみだしてやっているところは多い。公道で踊っている。パリの風景の素敵さはこの公私の混同にあるといっても言い過ぎではない。道で休み、道でおしゃべりし、道で恋をして一生を過ごす。道は歩くためにあるのではなく、人が生きていくために利用するのが道路だという認識が徹底している。
 松阪の正論おじさんは、パリだったらただちにリンチに会ってしまうかもしれない。
 日本は優れた法治国家だが、こうした正論おじさんみたいな困ったちゃんが多々いる。
 憲法改正絶対反対の左翼リベラル、マッカーサー憲法絶対崇拝の憲法学者など、みな松阪の正論おじさんと同じ偏向してフリーズした人々、人間の見えない人間だといえるだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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