正月は名画座へいく

by

in ,

キタホテル.jpg
 いつの頃からか「正月はホテルに泊まる」「正月は海外旅行に行く」というのが当り前になったが、学生時代の正月は「名画座」にいくというのがあった。
 あの頃の名画座には外国の風景があったし、外国の人々の暮らしや文化がつまっていた。いまどきの若者には想像できないかもしれないが、日本の外に出たことのない学生にとって、名画座で出会う映画は、玉手箱であり、至福のかたまりだった。
 未知の世界を訪ねるドキドキ感とともに名画座のドアを押した。
北ホテル.jpg
 サンマルタン運河の前の安宿で、愛する彼女の足に頬寄せる青年にショツクをうけた。マルセル・カルネ監督の「北ホテル」だった。
 ルネ・クレール監督の「巴里祭」も名画座だつた。「7月14日」という原題が日本だけ「巴里祭」になってしまう不思議さは、すべて儲けるためと知り何故かさびしかった。以来何十万人の日本人が、パリで巴里祭といって恥をかいてきたことか。
パリ祭.jpg
 祇園の正月は「櫓くぐり」に始まる。
 櫓とは正式に幕府から認められた、云わば官許の芝居小屋を指すのだが、京都で櫓の上がっている劇場は四条賀茂川の角に建つ南座しかない。
 祇園の芸舞妓はみな松の内に南座の櫓をくぐり、正月歌舞伎を見る。終演後には楽屋を訪ね、ご贔屓の役者さんに髪飾りの鳩に眼を書きいれてもらうというのが、舞妓さんたちの風習なのだが、コロナのお蔭で楽屋のお出入り禁止。さぞや皆寂しい気分に襲われていることだろう。
 花街と歌舞伎の世界は昔から芸道のもたれあい、すべてがコロナにこわされている。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ