歌舞伎役者ばかりが何故モテる

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 歌舞伎役者がラブリン等と呼ばれて喜んでいる風景はあまり好きではない。
 歌舞伎愛好家が片岡愛之助をラブリンと軽く呼ぶ筈はないからだ。このカルイ情報社会で、歌舞伎の人気を作り出すのは、歌舞伎を見たことのない情報ミーハー族だ。
 情報ミーハーにはいまどきの女子アナなども含まれる。女子アナ達はひところプロ野球選手に憧れた。妻の座につき内助の功高いイチロウの例もあるが、マツザカのように全くダメにした例もある。やがて対象はサッカーに変わり、伝統芸能に移っていく。歌舞伎の演目などひとつも判らなくても、梨園の妻の役割に無知でも、大胆にちかずき妻の座を狙うアッパレ女子アナ族だ。。
 海老蔵事件以来、歌舞伎の人気はいっきに次世代へ移って行った。代役を務めた愛之助から、半沢直樹のオネエ官僚まで、嫌われ役の筈が、一気にカブキ・アイドルになった。本流に生まれず脇からの急拵えなので、ジャニーズ系のタレントと本質に於いてあまり変わりはない。将来の舞台が念頭にある菊之助あたりとは違い、メディア人気がとにかく嬉しい。染五郎や海老蔵に習って、隠し子を作り、崖っぷちアイドルと呼ばれている熊切あさみと半同棲状態とゴシップの供給に不足はない。
 前田敦子と熱愛中と伝えられる尾上松也にしても、何かが軽い。
 こうした若手の人気に眼をつけたオンワードが、メンズウエアのブランド五大陸の宣伝キャラクターとして、愛之助、松也、歌昇、壱太郎、隼人の若手五人を担ぎ出した。ジャニーズ系を使うよりはるかに安く経済的だし、歌舞伎役者といってもみなメディア露出願望が強いので、使い勝手に優れている。ミーハー達はまき手拭いに殺到して満足しているが、こうした目先の人気に流されて、歌舞伎そのものがますますデジタル化したカルイ舞台に変質していくことが残念だ。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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