歌劇「ジョコンダ」が生まれ変わった

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 日本では先ず見ることの出来ないオペラ「ジョコンダ」をバスティーユのオペラ座でみた。
“偉大なる舞台美術の勝利”と新聞にあったので、期待して見に行った。 17世紀のヴェネチィアが背景のこの作品に、アドリア海の女王がどのように取り込まれているか、その一点に興味があった。
 物語は恋のかけひき、金持ちの嫉妬、歌姫の不倫といったイタリア・オペラならではのくだらなく古臭いお話、まあ数あるオペレッタとあまり変わらない。が、ここにカーニバルやらマスケラを被った舞踏会が登場すると、俄然舞台は活気ずき官能の魅力が溢れてくる。
 何万本の丸太の杭の上に建つ、ヴェネチィアの危うく美しい風景がそこにあるだけで、心がかき乱される。無数の運河が島を隔て、400もの橋がかかっているこの水の都は、存在そのものが詩であり、お伽噺であり、ロマンだと思う。
 がこのオペラの幕が開いたとき、すべての期待は裏切られた。そこには鐘楼もドゥカレ宮も大聖堂もなにもない。上下に走る2本の運河とふたつの橋、石づくりのヴェネチィアならではの太鼓橋が架かって居るだけのグレイッシュな風景があった。日本ならばさしずめ遠見にサンマルコの景色など描くところだが、奥の大運河と手前の小さな運河に架かった橋だけの、象徴的な舞台。
 脚本にあるライオンの口も、公爵の庭も、ラグーナの岸辺も、オルファノ運河も、黄金の家もすべて、ふたつの橋とキャナルのある灰色の世界で演じられた。
 衣装も装飾過剰な時代衣装はひとつも登場しない。市民たちは白・グレイ・黒のシンプルなフルレングス、アクセント・カラーに朱色がつかわれているのは、役人と神職たち、そして役の女優陣だけに僅かばかりの色彩が与えられている。古臭いものがたりは、現代のコイバナに再生されていた。 舞台はまさに動く現代アートになっていた。
 あとでプログラムを見たら、演出も美術も衣装も総てピェール・ルイジ・ピッツィだった。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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