歌会始に見る絶望の雅子さま

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 あんのじょう欠席であった。基本的に適応障害、そのうえ今年は感染症胃腸炎、だから歌会始なんぞには出席できないということだろう。雅子妃殿下のことである。
 ここ十年の妃殿下の詩をみてがっかりした。つぎの世代の象徴となるべき人が、国民のことについて全く関心がない。
 平成14年の「春」生まれいでしみどり児のいのちかがやきて君と迎ふる春すがすがし 子供に恵まれず長い間の負担から解放されて本当によかった。
 平成15年「町」…であふ町びとにみどり児は顔ゑみてこたふる この辺まではまだ幼いし母親として許せる範囲と理解していた。
 平成16年「幸」…吾子の笑顔は幸せに満つ もうそろそろわが子わが子を卒業して国民に眼をむけてほしい。
 平成17年「歩み」…園生の道を親子三人なごみ歩めば…えぇっ! 団地妻のお散歩かよ。歩みという御題が、国の行くすえや国民の暮らしの歩みに想いが繋がらない。残念である。
 そのご、みどり児は幼な子にかわったが、毎年わが子わが子で、この人には国母となる覚悟もなければ、皇室が誰によって支えられているかという認識がないのだなと、理解せざるをえなかった。
 平成21年「生」制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり ここにいたってはあきれるばかり。皇室が和歌をとおして、みずからの想いを国民にアピールできる唯ひとつのチャンスに、このていたらくでは、もはや国民が皇室に尊崇の念をもつということは不可能ではないか。
 美智子妃殿下の今年の御歌「帰り来るを立ちて待てるに季のなく岸とふ文字を歳時記にみず」震災の津波で行方不明になった家族や友人を岸でいつまでも待ち続ける人々の想いが痛いほどに伝わってくる。
 東大、ハーバードをでた才媛には、国家のシンボルは無理ということか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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