パリの街角は映画の街角だ。
トリュフォーの「大人は判ってくれない」には、いつもエッフェル塔が映っていた。サンマルタンの運河へ行けば、マルセル・カルネの名作「北ホテル」がそのままにある。パリ一番のジャンヌ・ダルク像があるビル・アケム橋では、狂気のエロティシズムと言われた「ラストタンゴ・イン・パリ」の導入部を思い出す。
モンソー公園近くメシーナ通りには、カトリーヌ・ドヌーブ「昼顔」の館がそのままにある。
ある日、ヴェルシー・ビラージュに出掛けた。お昼を食べようということになったが、どこもいっぱいで入れない、仕方なくカイザーのレストランで軽く済ませ、シネマテーク・フランセーズに向った。
新聞広告で、アントニオーニの「BLOW UP 欲望」の写真が大きく扱われ、フランスはこのイタリア人監督をこよなく愛している。アントニオーニはフランス人の心を持っている、と書かれていたのが気になっていたからだ。
シネマテーク・フランセーズでは大アントニオーニ展が開かれていた。会場入口には彼がアリフレックスを抱えて撮影している映像が飾られ、「愛と殺意」「女ともだち」「さすらい」「情事」「夜」「太陽はひとりぼっち」「赤い砂漠」「欲望」「ある女の存在証明」と代表作の総てが自由に観られるように工夫されたエキジビションだった。
結婚はしなかったが、彼の一生のミューズだったモニカ・ビィッティの蠱惑的な姿態もディスプレイされ、ヴェネツィア、ロカルノ、カンヌ、ベルリンとすべての映画祭で最高賞をとつたこの異才を湛えていた。
男と女の愛の不毛を描き、不安と孤独のなかで映像に没頭したアントニオーニに想いをはせたヴェルシーの昼下がりだった。
欲望のアントニオーニ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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