「南紀白浜」と聞けばどことなく色っぽい。アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市ワイキキ・ビーチと友好姉妹浜なのだ。 その白浜を過ぎると、「紀伊田辺」に至る。かの有名な武蔵坊弁慶生誕の地である。真偽のほどは判らないが、弁慶産湯の釜は闘鶏神社にあるし、弁慶腰掛石は八坂神社にある。なによりも駅前に弁慶像が立っているし、毎月第三日曜日には弁慶市が立つ。
その紀伊田辺も過ごし、ミカン畑と太平洋に挟まれて「串本」へ行ってきた。
「串本」は本州最南端のちいさな町である。ここは串本、向いは大島 と唄われているあの串本町、駅前にはトルコ友好都市という看板が掲げられている。アメリカ村などもあり、南紀はこの国のなかではもっともインターナショナルな地かもしれない。軽井沢辺りが盛んに口にするインターナショナルは、足元にも及ばない日常的なインターナショナルなのだ。
その串本に「ブッチャケ寺」が喜びそうな弘法大師の名勝がある。弘法大師と天邪鬼が一夜競って橋を架けるために岩を削ったと伝えられる「橋杭岩」だ。
科学的には1500万年前の熊野カルデラを作った火山活動の結果説や、宝永大地震の津波によって出来た巨大地震の痕跡説がある。 橋杭の海岸から紀伊大島に向って大小40の奇岩が、一列850メートルに連続してそそり立っている。
日本の地質百選、日本の絶景百選、日本の海岸百選、日本の朝日百選、あらゆる百選を独り占めしていることからもその景勝の素晴らしさは言うまでもない。
ライトアップのこの夜、目の前の「民宿はしくい」に泊まった。夕食も朝食もない。うどん屋さんが本業なので、希望があれば御泊めするといった営業方針なのだが、なにしろ橋杭岩の正面にあるという地の利に優れている。それにイケメンの長男の嫁さんが、長野鹿教湯温泉の出身と聞いて嬉しい。
秋のおわり、迫力満点の海と岩と空がひとつになった神秘的な絶景に満足して帰途についた。
橋杭岩の迫力に酔う
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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