森光子さんに始めて会ったのは、戦後間もないホテルだった。
新橋駅前の第一ホテルに、進駐軍の将校クラブがあったのだが、そのクラブで彼女は歌っていた。少しくたびれた振袖に袖を通し、ジャズのスタンダード・ナンバーを歌っていた。振袖姿でジャズという意外性が受けて結構人気があった。なんの用事で伺ったのか忘れてしまったが、ステージを終えた楽屋て汗を拭きながら、ドレスが無いからこれで歌っているのよ、と明るく笑ったのが印象に残っている。
森一生監督との不倫の末、映画界にいられなくなり、歌手をしていたのだが、下積みながら人気もあり、アメリカ軍人からプロポーズされ、本国に渡る寸前に別れたこともあった。
京都木屋町の旅館の娘に生まれた彼女は、関西中心の仕事に力をいれ、戦後数年あった宝塚男子部とお笑いと歌舞伎役者が一緒になって演じた宝塚第二劇場の新芸座の喜劇に出演していたこともあった。
ラジオの司会の縁からTBSの岡本愛彦と恋に落ち、4年の短い結婚生活を送ったこともあった。
赤坂東急を仕事場にしていた水上勉を尋ねたとき、いそいそとお茶を出してくれた彼女のその横顔に幸せが充ちていたこともあった。女優なら誰でもが隠しもっている熱い情熱の森光子だった。がいくら恋に溺れても彼女は決して汚くならなかった。狂った時間のなかで、いつも品を保ち、笑顔を忘れていなかった。
激動の半生に始めて安定が訪れたのが、菊田一夫との出会い、放浪記との出会いが彼女の人生に始めて安穏をもたらした。
麻雀を愛し、男を愛し、舞台を愛して、戦後史を生きた森光子に悔いはなかったろう。 合掌
森光子と五人の男たち
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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