東京駅からタクシーに乗った。柳橋へお願いします。何処ですか、それ。一瞬言葉を呑む。よもや東京駅から柳橋といって、通じない筈はないと思っていたので、こちらがうろたえてしまった。あのう 新橋、柳橋、赤坂、神楽坂といったあの柳橋です。ますます駄目だ。隅田川の両国橋の上の…あぁ新大橋ですか。いや、隅田川にかかっている橋じゃなくて、ほら神田川にかかっている。聖橋のそばですね。どうやら運転手さんは花柳界なるものをしらないのでまるで禅問答になってしまった。
浮いた浮いたと浜町河岸に/浮かれ柳の恥ずかしさ/人目忍んで小船を出せば/すねた夜風が邪魔をする……明治一代女に歌われ、婦系図、柳橋物語などの舞台になった柳橋から、粋な黒塀が消え、芸者置屋もなくなり、なんのとりえもないビル街になってしまったのだから、運転手さんが知らなくても当然か。江戸っ子の末裔としては残念このうえない。
小さなアーチ橋のたもとには、一本柳が風にそよいで、柳橋ここにありと、声をあげているようにも見えた。たもとから上流に向かう両岸には船宿が列をなし、紅提灯が川面にゆれて船遊びを誘っている。屋形船、釣り船、網船、涼み船、汐干船、乗合船といろいろあるが、楽しむなら小松屋の朱塗りの御座船がお勧めだ。徳川将軍の気分で舟遊びができる。
江戸っ子は葦の茂っていたこの辺りから、船をだし、春は花見、夏の花火、秋は月見と楽しんでいたに違いない。
水谷八重子の芸者お蔦を想い、15才の花井のお梅に心惑わせながら、川辺の大黒家の天ぷらに舌ずつみをうった。
十五雛妓であくる年/花の一本ひだり褄/好いた惚れたと大川の/水に流した色のかず/花がいつしか命とり…
柳橋いまむかし
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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