林真理子と日大アメフト麻薬事件

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 関東学生アメリカン・フットボール連盟からの再三再四に及ぶ調査依頼にたいし、日大側のあいまいな態度に始まった大麻事件は、検察による一斉手入れによつて、ようやく理事長、学長、副学長の記者会見に追い込まれた。
 林真理子理事長による口開けのお詫びは、かねてから「オカザリ理事長」の噂にたがわずなんとも気の毒な弁明だった。
 「面白そう」といって引き受けた理事長の席は、「日大のジャンヌダルク」どころか、「日大のオソマツクン」の実態を露呈した。
 度々本人が口にした「ガヴァナンス」は統治、支配、管理をめざす権力欲の裏返しで、林真理子という随筆家の本質を見事に現わしていた。
林真理子お詫び.webp
 理事長就任当時の状況を考えたら、なによりもまずコンプライアンスの順守徹底こそが最優先の課題だった筈である。女性理事を9人に増やしたから、こけからは学内の風通しがよくなって、不都合な事件はなくなるだろうと言っていた人事刷新も、形式的な女性重視に教授会からも軽んじられ、大麻発見も即座に報告されず、透明度は無視され、イメージ回復は6合目どころか1合目にもたどりついていない。
 ひとえに理事長の経験不足、無能ぶりが原因で、リスクマネージメントの役割、指示、管理の仕組み造りが何も出来ていなかったことが明らかになった。
 寮のベットに備え付けられていた、鍵付きのボックスから乾燥大麻と覚せい剤2錠が発見されたなどというのは、寮管理のいい加減さを表すなにものでもない。
 競技スポーツ担当の沢田康広副学長にも問題があった。高飛車でふてぶてしい態度はいかにも田舎のヤメ検らしく、大麻の葉についても細片とか、検察用語を使っていかにも俺は判っている風な説明が鼻についた。警察に連絡せず証拠物をなんにちも保持していたと説明していたが、それこそ証拠隠滅を疑われ、犯人隠匿の罪に問われ、麻薬犯にとっては尿検査の時間稼ぎをしたといわれても仕方ない。われわれは教育機関だから本人の自首をまったというのは詭弁であると論じられてもいたしかたない。
 林真理子といい、沢田副学長といい、日大出身に相応しいオソマツなアメフト・麻薬事件であった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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