松本はオクが深い

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松本はオクが深い
 今ごろは新幹線で長野へ行き、更に乗り換えて篠ノ井線で松本に向っている筈だつた。ときならぬ雪のため、あちこちの鉄道がとまり、高速道も閉鎖されている。
 松本では、恒例信濃毎日新聞社主催の芸術文化パーティが開かれる予定になっていた。信州の文化人や芸術家が多く集まるので思わぬ人脈に巡り合う。美術館館長なども顔を見せていて、情報交換の場として貴重な集まりになっている。
 一年交代で、長野と松本で開かれる。縦に長い長野県では、とりあえず北信の長野が県都になっているが、中信の松本の意識も高く、歴史の経緯からも長野と松本両雄並びたたず、メディアは二つの都市に足をかけている。
 城下町の松本はとても魅力に充ちている。
 国宝松本城を中心にした武家文化が町中に広がっている。中町にある白壁づくりの街並には、江戸から明治、昭和の生活様式がつまっている。
 松本民芸家具のふるさとでもある。近代の日本人の生活に、松本民芸の影響は言葉につくせない。やわな北欧家具など足元にも寄せ付けない仕事のたしかさとデザインの素晴らしさがある。
 フランス料理の鯛満、うなぎ割烹桜家の笹蒸しうなぎ、田楽木曽屋の昔ながらの豆腐田楽、スイーツなら開運堂と、食のレパートリーが充実しているのも松本ならではの魅力か。
 ヴァイオリンの才能教育に始まった松本芸術館を中心にしたオペラ、音楽、演劇への重層的な文化活動、市内にある浅間温泉の旅館群、東に美ヶ原高原を見、西に安曇野、北アルプスを望んで、豊穣な自然に恵まれた岳都松本なのだ。
 長野の寺文化、諏訪の神社文化を支配してきた武家文化のパワーに充ちた町、それがマツモトともいえよう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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