東大法学部出身にはとんでもない人間がいる。
知能指数だけが高くて、世界観や人生観が腐っている。ましてや自分の祖国を愛さない。反日日本人という不思議な人々だ。だから海外で日本の悪口をいい、日本を貶めて恥ない困った人たちだ。ひとことで表現すれば、売国奴である。
その代表ともいうべき人間が、弁護士を名乗る「高木健一」。
高木健一が、祖国日本にたいして初めてでっちあげた裁判が1975年「樺太残留韓国人帰還請求裁判」。ソ連によって強制連行されたにも関わらず、日本が悪いと詭弁を弄し、原告弁護団事務局長に就任して大活躍した。
それが一段落すると1990年代には、インドネシア慰安婦問題に眼をつけた。1993年には地元紙に大々的に広告を出し「あなたたちへの補償のために日本からきた。元慰安婦の皆さんは名乗り出て欲しい。」と政府でもないのに補償を口にし、元慰安婦を公募した。結果17000人が名乗り出て、それの代行業者まであらわれた。
時のインドネシア政府スエノ社会大臣が、当時の日本兵はインドネシアに20000人しかいなかった。兵隊一人に慰安婦一人などというのはありえない。それに両国の問題は1958年の平和条約ですべて解決済みである。この訴訟は日本インドネシアの友好にまったく役立たない。この事件を焚き付けた日本共産党、朝日新聞、日弁連に対し、抗議する。我が国は350年にわたつて支配されたオランダにたいしても補償などというみっもない請求はしなかった。針小棒大な作り話はやめるべきだ、と声明を発して高木健一、福島瑞穂らの動きを封じた。
困った反日弁護士たちが、つぎに眼をつけたのが、韓国慰安婦問題だ。韓国人のプライドのなさと計算高い国民性につけこんで、慰安婦の原告募集を始めた。そこに同じ根性の朝日新聞吉田清治や戸塚悦郎らがくわわって反日キャンペーンをひろめていった。そしてこうした対日賠償ビジネスは、日本を愛さない日本人によっていま徴用工問題までひきおこしている。
高木健一は1984年には韓国政府から国民勲章牡丹賞を受賞し、2019年には韓国法曹記者協会から今年の法曹人賞を受賞した。朝日新聞紙上で大嘘をかかせた吉田清治は、韓国では歴史の証人になっている。東大王などとテレビで喧伝するのは、見当違いもはなはだしい。次々と事件をおこす官僚たちも、筋のわるいのはほぼ東大法学部出身の売国奴がおおい。
東大法学部が生みだしたかずかずの反日日本人がどれだけ日本をおとしめてきたかについては、もっと日本人は怒りをもって対処すべきだ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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