徳川五街道はすべて日本橋に集まっていた。
東北から、裏日本から、北陸から、信州から、東海道から、すべての新幹線は東京駅に集まっている。
東京駅は紛れもなく日本の中心点になっている。その東京駅がとんでもない野心を抱いた。日本一、いや世界一のモール化計画を推進し、ほぼ完成に近づいた。
丸の内から宮城を望む低層三階建ての文化財駅舎は、明治の建築家辰野金吾設計による原型をそのままに復活した。高層オフィスビルにすれば、何倍もの利益を挙げられるにも拘わらず、脇目もふらず「文化」にこだわった。法規上建てられる空中の容積率売却移転制度を利用して、使わない容積率を丸ビルや東京ビルに売り、その利益を八重洲側の投資に当てた。
いまや鉄道以外のショッピング・モール投資はものすごい勢いで拡大し、エキナカをウロウロする庶民にはとてもその全容はつかめない。
既にあったキラピカ通り、黒塀横丁、キッチンストリート、北町ほろよい通りに加え、ノース・コート、サウス・コート、京葉ストリート、それに東京グランスタを加えただけでもかなりのテナント数となり、紀伊国屋からディーン・アンド・デルーカまで、ピェール・マルコニーニからユニクロまで、ほとんどのブランドが揃っている。そこに更にグラン・トウキョウのサウスタワーとノースタワーがが加わり、サピアタワーの完成により、ホテルと国際会議機能が加わる。
東京一番街には、ラーメン界のチャンピオンリーグを掲げる東京ラーメンストリート迄あって、駅ナカだけで40軒のラーメン屋が営業している。 隣接した大丸、ヤエチカ、丸ビル、新丸ビル・と五つの高級ホテルを加えると、都内でもっとも魅力的な巨大モールの誕生なのだ。
東京駅の巨大モール化
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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